思い出ホロホロ

松山には、昔からある玩具など郷土伝統深いものが沢山あります。
◆ 武者人形:藩祖の久松(松平)定勝の嫡男松平定吉が武術にすぐれながら早死したのをしのび、定吉がまつられている豊阪神社(松山城内)に、この武者人形を作り奉納すると、子供が健康に育つといういい伝えから、それぞれの家で作って神社に持ち寄ったのが始まりとされています。
松山の武者人形は「松山の鎧人形、道後でこ」ともよばれ、竹串の先に土製の首人形ついていて、顔が差し替えられます。
着物の両袖の手にも竹串がついています。
首と両手の竹串で操って人形芝居をまねて遊んだもののようで、約20センチの人形です。
◆ 姫だるま:このだるまは松山の民芸品としていつでも売られていますが、本来は市内の伊予豆比古命(いよずひこのみこと)神社で「椿さんの春祭り」1月7~9日に、露店で縁起物として売られていたものです。
この神社は舟人の神として信仰されてきました。
昔は露店では藁の宝舟などもいっしょに売られ、姫だるまの胴にも宝舟が描かれていました。
【由来】「神功(じんぐう)皇后が伊佐爾波(いさにわ)神社へお参りになったとき、筑前蚊田の浜で巻物と干珠満珠の宝を供え、応神天皇を産ませたまうた」と伝えられています。
◆ 金天だるま:高さ6センチくらいの小さなだるまで、頭頂部は一文字に平らになっていて金紙が張られているので「金天」と云っていますが、また、「一文字だるま」とも呼んでいます。
◆ 一閑張りの張り子。
松山市内に一閑張り(いっかんばり)の手法で、張り子の「だるま」をはじめ「干支(えと)の張り子」「面」などを作っている人がいます。
昭和47年頃に、高知県の人から「坊さんかんざし」の張り子の原形復元を依頼され、半年かかりで完成し好評を得ました。
それがもとで郷土玩具を作るようになりました。
松山に住んでいるのだから、高知のものでなく「松山のもの」を作ろうと、「だるま」を作り始め、また、松山に昭和初期まで「面」があったことを知り、年寄りの話しを聞いて「お多福、ひょっとこ、カッパ」などの面を復元しました。
一閑張り:江戸初期に明の帰化人・飛来(ひらい)一閑が創始の、漆塗りの技法。
和紙を張り重ねた上から漆を塗った細工物で、丈夫で一味ちがった趣があります。
◆ 野田天神。
松山市をはじめ中予地方では、男子の初節供に(雛)天神の段飾りをする風習がありました。
かっては、松山、上村、野田で土人形が作られ、なかでも天神が盛んに作られていました。
この土人形は、乾燥後に焼き上げ、差し込み式の首には磨きを掛けてあります。
膝には「市松模様」が描かれていますが、この模様の入っているのが中予地方の天神の特徴です。
その他に、上村土人形、松山天神が作られていましたが、いずれも廃絶しています。
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