伊予の国

松山の伝統に伊予国(いよのくに)と言う呼び名が存在していました。
かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、南海道に位置し、ほぼ現在の愛媛県にあたる。
長い海岸線と西日本最高の霊峰いしやま、そして豊かな風土に彩とられた優美の地伊予の国は中世の昔から共に香り高い文化を育んできました。
自我の心が次第に浄化され他を思いやる心が目ざめる源薩摩の行を確かめることになります。
松山城は、四国・愛媛県松山市にある城跡で、別名金亀城、勝山城とも呼ばれています。
松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸を構える平山城であり、日本三大平山城にも数えられる。
現在、山頂の本壇にある天守は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。
この中では、姫路城と同じく、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を渡り櫓(廊下)で結んだ連立式で、日本三大連立式平山城にも数えられる。
幕末に建築された大天守ほか、日本で現存数の少ない望楼型二重櫓である野原櫓(騎馬櫓)や、当時の土木技術としては特筆される深さ44mにおよぶ本丸の井戸などが保存されている。
敷地一帯は国の史跡に指定されており、建造物21棟は国の重要文化財に指定されている。
ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定された。
伊予の語源については、諸説ある。
「温泉説」
「いよ」の「よ」は温泉の「ゆ」から転訛したものとする。
それに発語の「い」を付して「いよ」になったという説である。
温泉とは道後温泉を表すとみられ、さらに「い」に「いい」という意味を持たせ、「いい湯」が「いよ」になっという解釈も語られている。
寺内浩他編の『愛媛県の不思議辞典』によると、この説は上代特殊仮名遣からみて、一般的には「ゆ」は「よ」には音韻変化しないとされ、「ゆ(湯)」から「いよ」になったとは考えにくいとしている。
この説に対しては、延喜式に「伊予郡」と「温泉郡」と2つ書かれているが、「伊予」になった「温泉」が郡名として残っていることの明がつかないという反論もある。
「湧水説」
古代人は、温泉以外に湧水も「いゆ」と呼んでおり、これが「いよ」になったとするものである。
古代、生きていくのに欠かせない水の湧き出ずる所はありがたい存在として、特別重要な地として扱われるようになり、これが湧水の周辺を指す小地域としての地名から、より広い地域、さらには古事記にいう「伊予の二名之島」=四国を指す地名となっていったというものである。
この説を補強するのが伊予神社で、同神社は「正四位上」の位を朝廷から授けられた由緒正しい神社であり、祭神を愛比売命(えひめのみこと)と月夜見命(つきよみのみこと)とする。
「愛比売」は古事記に、「伊予を愛比売といひ」とあるように愛媛の古名である。
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